私は、38歳で結婚するまで紛れもなく喪女(モテない女)でしたが、それでも「私には幸せになる権利があるし資格もある」と思っていました。
仕事では軽作業のパートでしか働けなかったので、社会人としては地位が低い方ですが、
などと思っていました。
そしてそれは、現在その通りになっていると思っています。
今日の記事は、もしかしたら一部の人にイラッとされるかもしれませんが、女性が自己評価を高く持つことは素晴らしいことだという話をします。
私は、娘には根拠なくとも自信のある人間に育ってほしいと思います。
「モテない=ダメ」ではない
何度も言っていますが、私はモテませんでした。
モテない女、ということは男性に評価されないというわけでありまして、評価されない私はきっとダメ人間なんだと思ったことはありました。
ダメ人間だから、目立たないように、人に不快感を与えないようにひっそりと生きなくてはならない。
そう思っていたこともありました。
でも、そう思わなくてはと思っていただけで、実は私の自己評価は高い方でした。
そう。自分はこんなに長所を持ってるのに、モテないのはどこかが悪いに違いない!でもそれが何か分からない!!と思っていました。
なので、飲み会に行けば「ああ。こんなダメ人間が来てすみません」「こんなブスとはしゃべりたくないだろうな…すみません」と卑屈に思っていました。
もちろんだれもそんなことは言いませんが、ちょっとした態度で「私がブスだから嫌がられている…」みたいに思うことは多々ありました。
自分はこんな扱いをされていい人間じゃない、と気づけた
でも、その後、実は自己評価が高い、ということに気づきました。
婚活パーティーでカップリング成立したのが2回続いたときのことでした。
カップリングした相手は、2回とも、パーティー後に最初に会った時点でモラハラ野郎だと分かりました。
まだ知り合ったばかりなのに、私の性格を知り尽くした気になっていて、ダメ出しをしてきたり、俺がダメなところを直してあげるよ、などと言われたのです。
自己評価が低い人は、本気で自分をダメだと思っているから、こういうことを言われたときに「正当に評価された」と思ってしまうのだそうです。
・褒められると「私のことを分かっていない」
・好意を寄せられると「私を好きだなんてこの人はおかしい」
となるのが、本当に自己評価が低い人。
私は、そうならなかった。
と思いました。
そこで気づいたのです。
私は、何も直すところなく私は私として評価されるべき人間だと深層では思っていたということに。
もし、そのままの私で評価されず、どこかを直さなければ一緒にいてくれる男性がいないというのであれば、そんなことをしてまで結婚する意味なんてあるの? と。
私はそのとき、結婚をあきらめる決意をしました。
私には思い当たらないけど、男性に全く評価されないダメな部分があるのだろうから、それを直さなきゃいけないのなら一人で生きよう、と。
もう婚活なんかやめよう、と、本気で思いました。
ま、よく言われる、「あきらめたときほど出会いがあるよ」というやつが事実だったので、結局結婚できたんですけどね。
高い自己評価はどこから来たのか?
では、私はその自己評価の高さをどこで身につけていたのか?
はっきり言います。幼少期の家族の接し方にあると思います。
私は、親戚との仲もよかったので、たくさんの身内に囲まれ、大勢の人にかわいいかわいいと育てられました。
男兄弟の中の一人だけ女だったし、夜の一人歩きは大人になってからも心配されるくらい、大事に育てられた自覚はある。
だから、身内にこんなに大事にされてる自分には、価値があるということを、身をもって知っていたのだと思います。
だから、自分を雑に扱いそうなモラハラ野郎のことを、すぐに見限ることができた。
何様?と思われてもいい
この、モラハラ男とのことは、当時婚活ブログを運営していたので、ブログにいっぱい悪態をついたのですが、そのときは私に批判的な意見もありました。
・人の意見を素直に受け入れられないようじゃ結婚できない
・偉そうに文句ばっかり言って、何様?
また、私は専業主婦としては優秀になれると思うという話もしていたので、
・統合失調症で専業主婦志望とかクズじゃん
・こんなのと結婚したら最悪
とかね。
今これに返信するなら
って煽ってみたいところです。
いくらこんな風に思われたって、幸せになったもん勝ちですからね。
娘を自己評価高く育てるために
というわけで、私も親になりました。
娘が大きくなって、つらい目に遭うときがあったら…という心配は尽きないです。
私ができることは、もしモラハラ男に傷つけられそうになったときに、
と即判断して距離をとれるように、自己評価高く育てたい。
なので、いっぱいかわいいかわいいと育てて、いっぱい褒めて、誰に否定されても私たちにとっては最高の娘だよ! としっかり態度でも言葉でも伝えたい。
娘は多分、私のような社会人としては落ちこぼれみたいな人間にはならないと思いますが、もしなったとしても、私たちの大事な大事な娘だということをしっかり認識できるような、そんな女性になってほしいです。
健やかに、しなやかに育ってね。
それではまた!

