突然ですがあなたは、空気読めますか?
適切に読めてるかどうか、はまた別の話として、空気を読む努力をしていますか?
- しっかり読めてる自信のある人
- 読もうとするけど見当違いのことが多い人
- 読みたいのに読めない人
- 読まなくても結果オーライの人
- 読めないし読むつもりもない人
……色々いると思います。
私は読もうとするけど見当違いな人です。
もくじ
空気読みすぎで嫌われるタイプもいる
私は昔から、人が自分をどう思っているか気になってしょうがない人でした。
人によく思われたくて、相手の望みそうな答えを自分の意に反して言ってしまったりしていました。
でも、そうやって発した言葉が、実際には相手の望んでいる答えではなく、私の意思ではないことが私の意見として扱われて相手によく思われない、更に相手以外の関係者の意見とも合わない。
例を挙げると
- AさんがBさんの悪口を言っていた
- 私は「確かにBさんそういうところあるかも」などとAさんに合わせてしまった。
- するとその後、Aさんはなんだかんだ言いつつBさんと仲良くなっていた。
- 私がそれを知らずにAさんに「Bさんこういう人だよね」と以前Aさんが言ったことをそのまま言ったら、AさんはすでにBさんと仲良くなっているから私が嫌われた
- ついでにBさんにも伝わってBさんにも嫌われた。
こういうことは頻繁にありました。
私は、こんな自分が大嫌いでした。
大人の顔色をうかがっていた子供時代
私は子供の頃からそういう子で、親や大人の顔色をうかがって生きていました。
伯父が「三白眼なんじゃないか」などと言っていたらしいのですが、多分上目遣いで大人の様子を常にうかがっていたからだと思うんですよね。
三白眼って? |
黒目が上に寄っていて、目の中の白目の部分が左右に加えて下の部分にも見える目のこと |
常に、他人が求めている行動がなんなのか気にしていて、それに応えられるように様子を窺っていたんですよ。
今は三白眼の気配は何にもないですけどね。
空気読もうとしてしまう癖があると学校がつらい
空気を読んで立ち回るのって、学校のような人がいっぱいいるところでは本当に苦痛でしかないです。
上のAさんBさんの例のように、あちらを立てればこちらが立たず、みたいに絶対なりますから。
それでも一生懸命空気読んで、でも読み切れてなくて、「あいつ嫌い」で無視されるようになったりとかはありましたね。
空気読む癖は抜けず、そのまま大人に
大人になってもあんまり性格は変わらなくて、そんなに空気読む必要ないんじゃない? って気付いたのは、結婚した後ですね。
結婚して空気を読む努力をやめたのは、夫が空気読めない私を許してくれることと、あとは、子供が生まれたら子供のことで精一杯で、周りの人の機嫌なんかとってる余裕がなくなったからです。
まぁ、癖でナチュラルに読もうとしてしまうことはありますけれども。
今は空気読む相手は娘だけ
そういうわけで、私の空気読もうと努力する力は、娘相手のみに全振りになりました。
すると。
娘 へにょ(だっこ中に頭がくたっとなる)
私「あ、娘眠そう」
娘(ぱぷりーかーの手の動き)
私「あ。踊ってる。パプリーカーはながさいーたーらー」
娘 ニコニコ(追いかけてくるかな?)
私「(はいはいで)まてまてー」
もう、「読める!読めるぞぉ!!」って感じですよ。
大人のようにひねくれてないから、求めるものがすごくわかりやすい。
しかも娘は、私が望み通りに動くときゃっきゃと大喜びしてくれるから、空気の読み甲斐もある!!
空気読む自分が好きになれそう
うまく空気読めるわけではないのに、読む努力ばかりして見当違いのことになってしまっていた私。
でも読もうとする努力は、決して無駄なものではなかった。
きっと、子育てで娘の気持ちを理解しようとするときには、この努力が功を奏すのかもしれません。
そのうち大きくなったら、娘の要求も複雑になっていって、難しくなるときもくるのでしょうが、今は単純なのでうまいこと対応できています。
昔欠点だと思っていたことが、今になって「別にいいんじゃない?」ってなることが、最近多いなって思います。
自己肯定感が上がったってことなんでしょうねぇ。
空気読む努力の話まとめ
私がこの性格で学んだことは、
- 空気読もうとする努力が意外なところで役に立つことも
- 読み違えるのを恐れる必要はない
- でも悪口に迎合すると孤立することもある
というところでしょうか。
まぁ、色んな人がいるんだから、自分にどこか欠点があったとしたって、個性として受け止めてもいいんじゃないかなって、この年になってようやく思えましたよね。
そんなわけで自分アゲ記事でした~!
それではまた!


