おひさしぶりです。
祖母が天寿を全うしたため、ちょっとバタバタしておりました。
アイキャッチ画像は、私が産まれたときに祖母が作ってくれた木目込み人形のおひなさまです。
今年20数年ぶりに母が飾ってみたそうなのですが、まさか祖母が亡くなってしまうとはね。
虫の知らせみたいなものだったんでしょうか。
もくじ
祖母の死のお知らせ
おばあちゃんのことはこの記事で書きました。

死亡の連絡があったのは、2月12日18時半のことでした。
私が夕ご飯を作っていると、母から着信がありました。
料理の音で聞こえなかったので折り返すと、「おばあちゃん死んじゃった」とのこと。
祖母98歳。いつそうなってもおかしくない年齢なのですが、内臓が非常に元気な人で、もっと生きそうな気がしていたので、絶句しました。
まだ何も決まってないので後でまた、ということで電話は切れて、私は、色々と思い出して1人泣きました。
おばあちゃん子だった私
私は、両親が祖父母と同居しているときに産まれ、10歳までそこで育ちました。とてもやさしいおばあちゃんで、私はおばあちゃん子でした。
大人になってからもやたらとお小遣いをくれて、認知症でわけがわからなくなる直前まで、会うたびにお小遣いをくれていました。
私が結婚する直前までは、全く普通のおばあちゃんでした。
でも結婚半年後に挙げることになっていた結婚式には、祖母が自分で「私はとても行けない」と言ってきました。
おそらく、この時すでに自分がおかしくなってきている自覚があったんだろうと、身内から聞きました。
死にたいと言っていた祖母
祖母は、長生きすることを憂いている人でした。いつも「こんなに生きてしまった」「早くお迎えが来てほしい」と言っていました。
老いる自分が嫌だったのです。
なので私は、認知症になったと聞いたとき、とても不本意だろうな、かわいそうに、と思いました。
死の一報を聞いたときは、悲しい気持ちと共に、ようやく楽になれたんだねとほっとする気持ちもありました。
わけが分からなくなっていく自分の姿、子や孫たちに迷惑をかける自分の姿は相当に恐ろしかったでしょう。
私たちも、あんなにしっかりしていた人が壊れていく姿はとてもつらかった。
祖母の最期
死因は老衰でした。
その日はデイサービスに行く日だったのですが、ちょっと様子がおかしいということで、伯母、父、叔父、の子供たち三人揃っているときに眠るように亡くなったそうです。
もしかしたら、ちょうどいいタイミングを図っていたのかもしれませんね。幸せな最期だったに違いありません。
残念ながら、私の娘を会わせる前に亡くなってしまいました。
もう少し待ってくれれば、会わせてあげられたのですが。
でもきっと見守っててくれますよね。
12日に亡くなり、14日にお通夜、15日に告別式でした。
その辺の私の動きを数記事に分けて書きたいと思いますので、興味があればおつきあいください。
それではまた!

