38歳で運命の出会い
高齢喪女からの逆転
統合失調症を克服して社会復帰し、婚活を経て最高の夫と結婚した女のブログ
喪女の過去、婚活

統合失調症回復過程で経験したこと

統合失調症で働けなかった頃、私はリハビリとして、精神障害者の作業所に通っていました。

その作業所は仕事をするのは半日くらいで、午後は歓談したり散歩に行ったりスポーツをしたりとかなり緩いところでした。

でも、障害者施設の中にはもっと厳しい、しっかりと仕事をさせられるところもあります。 私は、緩い作業所で次第に物足りなくなっていき、しっかりと仕事をさせられるところに行ってみたことがありました。二回ほど。  

 

内職作業

一回目は、施設名は忘れましたが、一日中内職作業をするところでした。 しっかり企業と提携していて、仕事を依頼されるのだそうです。そこで私は、何日か内職作業に従事しました。 内容は紙を折る作業でしたね。箱になる紙です。

作業所と違って、働けば働いた分だけしっかり給料が出る施設でした。 最初は順調だったのですが、段々、他の人の言動が気になるようになってしまいました。 何か言って笑ってるのを聞くと、自分が笑われているような気がする。話をしてても内容が聞こえないと、自分の悪口を言われているような気がする。

そのときは多分、まだ症状が治まりきっていなかったのでしょうね。完全に、統合失調症による妄想症状です。

結局、続けられなくてやめました。1週間も経ってなかったと思います。 でもそのときの指導員さんには「仕事を出来る能力は充分にある」というお墨付きをいただき、自信喪失することは特にありませんでした。  

 

国立障害者リハビリテーションセンター

それからしばらく経ってから、今度は所沢にある国立のリハビリテーションセンターに行ってみてはどうかという話をいただきました。

私はそのとき、心から働きたくて、でもどうしたらいいのか分からなかった頃でした。

リハビリテーションセンターで、就職のための勉強をして、働くところを探すという方法が提示されたのでした。 でもその施設は、簡単には入れるものではなく、受験しなくてはならないところでした。

私は覚悟を決めて、受験しました。 筆記試験は問題なくクリア、その次に実技になりました。

私が選んだコースはCADについて学べるコースでした。パソコンは得意だしそういうの興味があったので、やってみようと思ったのでした。 実技でも、ちょっとした計算問題をやらされ、全問正解すごーいなんてみんなに言われ、文字入力問題もワープロ検定を持っていた私にはお茶の子さいさいでした。

全く問題なく試験には受かると思われました。 でも私は思ったのです。  

これは私のやりたいことではない。私は、今すぐにでも働いてお金が欲しい。 

リハビリテーションセンターに合格すると、学校のような所なので、一年間は通って勉強することになります。 CAD自体には興味がありましたが、一年間、例え就職準備金なるものが支給されるにしても、それは働いているわけではない。

私は働きたい。 そう思ったんです。

それで、リハビリテーションセンターへの入学は辞退しました。 辞退して作業所に戻ると、心からリハビリテーションセンターに行きたかったのに筆記試験で落ちた仲間の反感を買ってしまいました。  

 

就職

で、過去記事にも書いたと思いますが、その数ヶ月後に一日四時間勤務の仕事を見つけて私は無事に社会復帰しました。

その会社は事務、そしてその後は工場内軽作業の仕事をいくつか。

今思えば、このリハビリテーションセンターでしっかり勉強してCADを覚えていれば、もっといい仕事が出来たのかもしれないですね。この時の私は完全に焦っていた。

私の人生で後悔する部分…はいっぱいあるけど、やり直せるとしたらここを選ぶかもしれないなと思います。 通っていたら、何か一つは技術が身についていたはずなのに。 CADという言葉を聞くと、この時のことを思い出してちょっと悔やんでしまうところはあります。 今日この記事を書こうと思ったのは、ニートだった弟が仕事決まって「CAD勉強してほしい」と言われたらしいからです。

ろくに職歴のないニートなんですけど、たまに見つけてくる仕事はいつも、私から見るとちょっと楽しそうな仕事で。 ちょっとうらやましいなって思ってしまったんですよ。  

でもね。 なんだかんだで私は結婚してるから、弟からしたら逆に私の方がうらやましいだろうと思うんですよね。 私だって別に、ニートの弟がうらやましいわけじゃないですし。むしろほんとコイツアホだなと思ってますし。

まぁ、私はこれでよかったんだなって思っていますよ。結果オーライ。 はぐメタさんに感謝!  

それではまた!

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