私は統合失調症歴があります。
忘れることもない2000年9月に発病しました。
世界はオリンピックの真っ最中。
世界的なお祭りの最中に、私は人生のどん底にいました。
あの頃のことを書きたいと思います。
昭和の家庭がストレスで統合失調症
私の実家はものすごい昭和の家庭で、男は座って飲み食いするだけ女はちょこまかと働きづめという光景が日常です。
父なんかは若い頃に一人暮らし経験があるけど、何も自炊はしないでミスドばっかり食べていたとか。
そのとき家には調理道具が小鍋しかなかったそうです。
そんな家なんで、兄も弟も家事は全然出来なくて、弟は趣味でお菓子作りはやるんだけど、普通の料理はチャーハンの素を使ってチャーハン作れるくらい。
兄に至っては、カップラーメンくらいしか作れないんじゃないかな。
兄は実家の近くに住んでいるけど、兄嫁が里帰りしたりすると、実家まで毎食ごはん食べに来るくらい、料理できないって言うかやる気がない。
でも私は女子だったから、子供の頃から、母の実家の田舎とか行ったら強制的に手伝わされるわけですよ。
男兄弟と従兄弟たちはゲームやってたりするのにさ。
自分の家では、母がいれば手伝い強制されることはなかったけど(自主的にやってたけど)、田舎に行くと女は働かされるんですね。
で、母が外泊とかでいなくなるときは、兄と弟の食事の面倒は私が見るわけですよ。中学時代からでしたかね。 それが私にとってはとてもストレスでしてね。
母がいなくても、自分一人なら大丈夫なんですよ。適当に食べてりゃいいからね。
そこに兄も弟もいるから、そこそこちゃんとしたものを作らなくてはならなくてね。
発病の引き金
私が統合失調症を発病した時は、そういう母がいない時でした。
両親は県内の親戚の結婚式に行っていたんですが、県内なので別に日帰りで帰ってくればいい話です。
でも母は自分の兄弟が大好きなので、伯父の家に泊まりたがった。
しかも二泊。
私はそのとき、不眠症で一週間くらい一睡も出来ていませんでした。
行かないでほしいと訴えました。
でも両親は行ってしまった。
不眠症の私に健康な兄弟の面倒を押しつけて(←そのときの私はそう思ったんです)
出かける時の父の「寝れないって言ったって実は結構寝てるものだよ」などという、全くなにも分かっていない発言は一生忘れないでしょう。
あのときの私はずっと、時計の針の動きを一秒も漏らさず見ていたというのに。
「お父さんもお母さんも何も分かってくれない…」
絶望。
そして、私がこんなに不調でも兄弟は何もしないで私の料理ができるのを待っているだけ。
私は壊れてしまいました。
直接の原因は寝不足だったと思います。
ちゃんと眠れていれば、兄弟の面倒を見るのもいやいやながらも出来ていたはずです。
私はそれでもちゃんとごはんを作ろうと寝不足で朦朧としながらカレーを作り、ニンジンを入れ忘れていたそうです。
それは記憶がないんだけど、鍋を火にかけたままソファに横になって、動くのも億劫なのに「焦げちゃう」と思っては起き上がって混ぜていた、そんな記憶はあります。
そこから、記憶は断片的になります。
幻聴の始まり
どこにいても誰かの声が聞こえるようになって、言動がおかしくなりました。
後から親に「こんなことを言ってた」って聞いたから分かるけど、自分の記憶としてはほとんどありません。
声が聞こえてたのは少し覚えています。トイレに行こうとすると「来るな」って声が聞こえたり笑われたりしていました。
自分の部屋にいても、リビングの方に誰か来ているような話し声がして、行ってみては「○○さん来てた?」とか言っていました。
ずっと朦朧としていました。
次にはっきり覚醒したのは、病院でした。入院させられていました。
入院する前に症状があったのは一週間くらいで、運良くすぐ病院に連れて行ってもらえたから、回復も早かったんですよ。
たまたま近所に看護師さんが住んでいたから、病院つれてけって助言してくれたそうです。 おかげで、入院も短期間で済みました。
幻聴があったのは結局その辺の二~三週間くらいなんですよね。
陰性症状 ひきこもりへ
その後は、眠れなかったのが嘘みたいに、今度は寝るだけになりました。
何も出来ない。
自分はなんで生きているんだろう。
という思いから逃れるために、ひたすら寝ていました。
そしてひきこもりへとなっていくわけです。
が、急性症状としてはここまでですね。
この後、一日家から出ない日が数年続き、医者に「近所の電信柱まででいいから家から出なさい」と言われたのをきっかけに快方へ向かうことになります。
統合失調症から回復
あの頃は人生のどん底でしたが、その後いろいろあって、今のように幸せになりました。
回復後にも仕事でイヤな思いにあったりして大変なこともあったけど、何があっても「あの頃よりは幸せだなぁ」とずっと思っていました。
運がよかった。本当にその一言に尽きます。
過去のことを思い出すといつも、あの頃の自分に「絶対幸せになれるからね」って言いたくなるんです。
いっぱいがんばったね。
それではまた!
