統合失調症になったのは22歳の時。
その後はこの病気の典型パターンでひきこもりになりました(陰性症状といいます)
何年か、本当に一日家を出ない生活で、毎日パジャマですごしていました。
回復に向かうきっかけになったのは、主治医の
という言葉でした。
私は自分で言うのも何ですが、とても素直なので、それを実行しようと思いました。
それに、自分が電柱までも出られない人間だということを目の当たりにして、なにくそと思うところもあったような気がします。
もくじ
精神病から回復への第一歩は散歩
私は、電柱までではなく、一番近いドラッグストアまで散歩に行こうと決めました。
ドラッグストアまでは徒歩15分くらいでしょうか。
そんなに苦痛ではなかったです。新しい一歩を踏み出した感じはありました。
行き先がドラッグストアなので、母が毎回「○○買ってきて」と言ってくれるので、自分も役に立てている、と思うことが出来ました。
そこからの回復は早かったです。 散歩で外に出られるようになった私は、人と接したいと思うようになりました。
散歩の途中にある喫茶店によって、ママさんと話したりするようになりました。 でもママさんは、事情も知らずに「働かないの?」と言ってくる人だったので、すぐに行かなくなりました。
それでも人と接したかったので、主治医に相談すると、デイケアと作業所という手があることを教えてくれました。
デイケアを見学
私はすぐにデイケアに見学に行ってみました。
行った日はちょうど話し合いをしていて、ホワイトボードに意見を書き出す書記係の人を、他のメンバーが責めているように見えました。
こんなところには行けない、と私は思いました。
精神障害者福祉作業所へ
次に精神障害者福祉作業所に行ってみました。
そこは、ビーズで自主製品を作っている作業所で、試しに教わりながらやってみたら、とても楽しかった。
ここにしよう! と入所決定。 すぐに通うことになりました。
最初は週二。 細かい作業が得意な私には、ビーズはとても向いていました。
一人で大量の作品を作って、悦に入っていました。
この頃、趣味もビーズになり、家でもやるようになりました。
同じ立場の精神障害者にイライラするように…
作業所は一応工賃というものが発生するのですが、これがとても少なくて、一ヶ月千円いかないくらいの微々たるものでした。
私はもっとお金が欲しくなりました。
あと、他の人より確実に多く製品を作っているのに、お金が少ないことを不満に思うようにもなっていきました。
また、とっても傲慢な話ですが、作業所に通っている他の精神障害者を見ていて、
と思うようにもなりました。
何も出来ないのは仕方ないとしても、本当にやる気がなくて、イライラすることは多々あった。
最低と思うかもしれませんが、正直に書かせていただきます。
やる気がないのは精神病のせいでもある
まぁやる気がないのも病気のせいなんですけどね。
そもそも、私だってここに来る前はひきこもりだったわけで、普通の人から見たら何コイツレベルでしかなかった。
単純に、私が精神障害者福祉作業所に通うことで劇的に回復したために、他の病気真っ最中の人がもどかしく見えただけなんです。
また、ビーズで色々作れたことで、
と自信もつき始めていました。
社会復帰第一歩 職探し開始
と決意し、ハローワークにも登録しました。
結局見つけた仕事は新聞折り込み広告の求人からだったのですが、ちょうど良く一日4時間の事務の仕事に就きました。
その後、一日4時間の仕事は会社がつぶれてやめることになりました。
その時にはフルタイムで働ける自信がついていたので、フルタイムパートになり、そのあとはパートなのに10時間勤務週休1日の仕事させられたりいろいろありました。
その辺の詳しいところはまた別記事で(記事の最後に別記事にリンクしておきます)
今、結婚して一番いいところに落ち着いた感じがしますが、ここまで回復したのはいい精神障害者福祉作業所に出会えたからです。
ひきこもりから焦っていきなり働き始めたら、変化についていけなくて仕事できなくなるのは確実だし、そうなってしまうと自分でも自分を責めてしまいます。
自分はこんなこともできないのか…ってなったら、また復帰まで長引くんですよね…。
リハビリは大事ですね。
それではまた!
この記事の続きです。


